日蓮は泣かねども 涙ひまなし

鳥と虫とは鳴けども涙おちず。日蓮は泣かねども涙ひまなし。この涙世間のことには非ず。ただひとえに法華経の故なり。若ししからば甘露の涙とも云っつべし。
(諸法実相抄)

「鳥も虫も鳴き、さえずることによって自分の存在を知らしめようと努力している。しかしどれほど鳴いても涙を出すことは無い。私日蓮は鳥や虫のように声を出して鳴くことは無いが、涙は止まることなく流し続けている。この涙、世間で云うところの喜怒哀楽の涙では無い。法華経に出会い、釈尊の真実の教え、真意を悟ることの出来た悦び、法に生き法に生かされている法悦の涙、この法によって末法万年、闇の世界から人々を救済することの出来る歓喜の涙、これが私の涙なのである。」


 十月は今更申し上げるまでもなく、宗祖日蓮大聖人第七百遠忌御会式の月であります。今年は第七百三十五遠忌に正当いたします。お山では八月お盆が終わるやいなや御会式に向けての準備が始まっております。かく言う私も九月十八日大坊さんの「入山会」をかわきりに御会式行事の開始でありますが、それら行事を一つ一つ全力でおつとめさせて頂いて、思い来ることは日蓮聖人の「衆生への思いの深さ広さ」であります。
 今回ご紹介いたしました御文章「諸法実相抄」は文永十年(一二七三)佐渡一谷でご撰述、お与えになられた方は天台宗の僧侶で宗祖と同じく佐渡に配流になっていた最蓮房にお与えになられたお手紙の一節であります。最蓮房は日蓮聖人の教化に触れ、日蓮門下の一人となられる方であります。ただ本書のご真蹟は遺っておりません。ですがその内容が法華経修行者の根本精神をお説きになっておられることから、日蓮聖人真実の教えの御書と拝されております。
 さて法華経の一々文々を表面だけ拝読しても南無妙法蓮華経の七文字は出て参りません。それを末法という時代に上行菩薩という方を使いとして遺された、という法華経神力品のみ教えを金言として受け止められ、上行菩薩というお立場で法華経如来寿量品を読まれた時、是好良薬今留在此「今この良薬をここに留めておく」の文の底に隠されていた、南無妙法蓮華経の七文字が顕れ、このお題目を受持することによってこれから先、末法万年の衆生が救われる。このことに至った時日蓮聖人は、お釈迦様の広大なお慈悲のみ心を悟られ、上行菩薩というご自覚、その大役の重さ、そして自らに与えられた佛縁のありがたさに涙を流されたのであります。
 このような境地に立って世間の人々の喜怒哀楽の涙が鳥と虫の鳴き声であり、何とかして真実の教え南無妙法蓮華経の世界、佛法の喜び法悦の世界に触れさせてあげたい。この願いに自らの身を置かれると涙はひま無く流れ落ちてくる。今月のご文章はこのことを述べておられるのであります。
(衆生への〝まなざし〟〝よびかけ〟〝思いやり〟)。


合掌

日彰