異体同心なれば 萬事を成ず

異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶う事なしと申すことは、外典三千余巻に定まりて候云々。
 一人の心なれども、二つの心あれば、其の心たがいて成ずる事なし。百人千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず。

(異体同心の事)

「異体同心といって身は異なっていても、その精神・目指すところが一致しお互い協力し合っているならば物事は必ず成功する。然しこれと反対に同体異心といって、一つの体・一人の心であっても心が二つ・三つに動き乱れ、精神が統一されていない時は、何事も成就しない。このことは私日蓮の言葉では無い。佛教には勿論(もちろん)のこと外典即ち佛教以外の書物、儒教の書物の数多くにこの事が説かれ、さらに付け加えるならば歴史上の事実も沢山ある。
 つまり一人の人であっても二つの心・目的とする事の精神が定まらず、あれこれ乱れ、迷いを生じていては何事も成就しない。それに対したとえ百人・千人の心であっても、目的が一つに定まっていれば何事も成就するのである。」


 弘安二年(一二七九)四月、熱心な法華経信者であった静岡県富士郡熱(あつ)原(はら)の豪農、神四郎兄弟が他教徒の讒訴(ざんそ)にあって殉教、他に十名もの信徒が入獄、その後、許され放免されると言う一大法難(熱(あつ)原法難(はらほうなん)と言います)の時に日蓮聖人自ら筆をとってお示しになられたのがこの御文章であります。
 この故をもって「異体同心」のご教示は私たち日蓮聖人門下の者にとり欠くことの出来ない最重要の「み教え」であります。いや門下に限らず人生百般物事を成そうとする者、志を成就しようとする者にとって欠くことの出来ない大事なみ教えでありますこと、言を待ちません。加えてこのみ教えには、先にも述べておりますように「同体(どうたい)異心(いしん)」というみ教えも含まれております。一人の人があれもこれもと目標を立てたり、あるいは一つの事を成ずるにあたって、あれこれと迷い目的に対して心が定められない状態の事を言いますが、これでは事が成就するわけがありません。この事は一人個人に限ったことではありません。一つの家庭にあっても同じであります。家族がバラバラでは何事も成就しません。会社・学校・地域社会・日本国・世界にあっても同じことであります。このことを「異体異心」と申します。各人が自分だけの事を願い、転々バラバラの状態を言います。今日の日本、世界がまさに「異体異心」の状態に在ること明白であります。
 かと言って、指をくわえている訳には参りません。日蓮聖人のみ教えを信じ、お題目をお唱えする私達日蓮聖人門下の成すべき事の第一は「お題目への異体同心」このことであります。お題目を口でお唱えし、心(意)でお唱えし、体(身)でお唱えする(身・口・意の三業受持(さんごうじゅじ)と申します)異体同心の根本はこのことにあります。来る十月十三日は宗祖日蓮大聖人ご入滅七百三十五遠忌、まずお題目を唱え唱えて唱えきる「唱題行」をもって鴻恩に報じさせて頂きたく念じております。


合掌

日彰