菅野貫首写真

猊子王の如くなる心をもてる者
必ず佛になるべし
例せば日蓮が如し

『百獣の王と言われるライオンは、小兔をあなどらず、大象を恐れず、常に自分の持てる力を百パーセント出し切り、どのような時にも力を緩めることなく、いかなるものにも恐れない。と言われている。この姿、この心を法華経を信ずる者は学ぶべきである。小事をあなどらず、大事をおそれず、法華経お題目に全てをおまかせする。法華経お題目のお力を信じきる。この絶対の信こそが佛になる道。悟りへの唯一の道である。実例をあげれば私日蓮を見習うがよい。』(佐渡御書)

 今月ご紹介申し上げております「佐渡御書」は文永九年三月佐渡塚原三昧堂においてお認めなられたお手紙で対告衆(お手紙のお相手)は「日蓮弟子檀那等御中」とございますから、鎌倉その他在住のご信徒の皆さんに宛てられたお手紙であります。聖人は前年の九月に龍の口のご法難にあわれた後十一月に佐渡にご配流、御年五十一才、我が身は極限の状態におかれている中にあっての信徒の方たちへ励ましのご教示であります。
 さて日蓮聖人が今月のご教示でお説きになられている「猊子王の心」とは信仰心、法華経お題目を信じきる「信」の心のことでありますが、日蓮聖人がかくまで信じ切られた「信」とは何かと申しますと、法華経、お題目、久遠実成の佛、お釈迦さまへの絶対なる「信」であります。くり返しになりますが日蓮聖人は『法華経はお釈迦さまの真実のお言葉、金言である。そこにはいささかのあやまりもない。全てが真実である。だから自分はその説かれている事を実行するのである。その結果としてわが身に如何なる大難がふりかかろうともこの「信」を守り通す。これが私、日蓮の「信仰心」であり、成佛であり、悟りの姿なのである』とご教示下さっておられます。
 佛さまの教え、法華経の教説を聴聞、お題目の修行に励んでいる私たちでありますが、仕事、病気、対人、等々に於いて少しでも困難に直面すると〝あれだけお題目をお唱えしてきたのに〟との不安の芽が出てくるのをおさえることが出来ません、信じきれない、まかせきれない、そういう私たちの「信」の弱さをご存知の日蓮聖人だからこそ「猊子王の如き心」をもって、信じきりなさい、おまかせしなさいとおすすめになられるのであります。
 日蓮聖人の時代と違い、現代に生きる私たちに「法華経を信ずることによる身の危険」はありません。ありませんが逆に信じきる強さのないことも事実であります。
 「信」はあくまでも佛さま、日蓮聖人と自分の二対一対、あるいは一対一の心の中のこと、信じきれているか否かは自分にしかわかりません。今月のご教示を佛縁とし「自らの信」を問いただしたいものであります。


合掌

日彰