菅野貫首写真

身つよき人も、心の櫂なければ
多くの能も無用なり
(乙御前御消息)

 平成三十年の新春を寿き、全国のご寺院、檀信徒の皆様はじめ、十方有縁の皆様のご清福をお祈り申しあげます

 年の始めにあたり皆様にご紹介申し上げます日蓮聖人のご教示は「心の櫂をしっかりと持ちなさい。持ち直しなさい」このことであります。
 ご紹介申し上げます聖語のあて先は乙御前となっておりますが、この題名は後の世の人がおつけし、通称となったもので、内容的には「乙御前の母、日妙聖人」にお与えになられた御文であります。本書は建治元年八月、乙御前の母日妙聖人が身延山を訪ねられたことに対してお与えになられた御書であります。日妙聖人は幼な児乙御前を連れて夫と別居した夫人ですが、その強い信仰心を日蓮聖人が認められ、日妙聖人という御名を授けられた方であります。それほどの方に対して、いやそれほどの方だからこそ聖人はこのみ教えを示しておきたかったのだと拝します。もちろん末世に生きる私たちへのご教示であるとの意味を含めての事であります。

『如何に身体が健康であり沢山の才能、能力を備え持った人であっても、ただそれだけでは宝の持ちぐされである。持てる才能、能力を正しい方向に導き、生かし、推し進めてゆく力、それが心の櫂、お題目なのである。このことを心にしっかりと定めて日々おくられることを祈っている』

 では「心の櫂」とはどういう「櫂」なのでありましょうか。佛教では「心の師とはなるとも心を師とせざれ」と説きます。つまり「自分の思ったままを実行しようとするのではなく、今自分の思っている事は、考えていることは、正しい事か、自分一人のためでなく他の人のためにもなっているか、一歩退って自分自身を見つめ直し、コントロールする力を持ちなさい」と言うことであります。日蓮聖人はこの力のことを「心の櫂・お題目」と表現、私達に伝えたかったのだと拝します。
 自分の心をコントロールする「心の櫂」それがお題目。私はよくお説法で「夫婦ゲンカの前にお題目を唱えなさい」と話しますが、かく言う私も実行出来ておりません。それでも毎回のように話しますのは「常日頃のお題目の積み重ね」が微妙に出てくるものだからであります。おためしになる必要はありませんがお心の底に止めておいていただきたい「夫婦の絆の妙」であります。
 さて目を外へ転じますと、日本中、いや世界中「心の櫂」を失っているように思えてなりません。特に全世界の政治を司っている方にはしっかりと「心の櫂」を持っていただきたいと願うことしきりであります。
 国内に於いても、政治、経済、産業、教育、医術、家庭、家族、親族、もちろん宗門人、宗教界を含めて全ての人々が新年を迎えるにあたり「我が心の櫂」に目を向けていただけることを願ってやみません。


合掌

日彰