菅野貫首写真

一佛乗の妙法のみ一切衆生を佛になすなり(如説修行鈔)

 「お釈迦さまがお説きになられた沢山のご説法の中で、末法と言われる時代に、ただ一つの大安心の境地に至れる乗物。妙法蓮華経だけが、この世に生きとし生ける全ての人、全ての動物、全ての植物までもが救われるみ教えなのである」
お釈迦さまは五十年間にわたって人々救済のためのご説法をなさいましたが、ご入滅になられるまでの八年間、ご自身の発願によって妙法蓮華経をお説きになられました。このみ教えは、お釈迦さまご在世中の人々の救済はもちろんのこと、ご入滅後二千五百年後(これを末法の時代と言います)の人々、つまり令和の時代に生きる私たちのことも視野に入れてのご説法でありました。
読者の皆さまもご存知のように、如説修行鈔という御書は、日蓮門下の方にとって「天下万民」のご教示とともになじみ深い御書であります。
 文永十年五月、佐渡ヶ島一の谷(さわ)(今の本山妙照寺)でご撰述になられました。そしてその終わりに
「人々御中へ、この書御身を離さず常に御覧あるべく候」 とお示しになられております。ということは、広く門下一同にお与えになられたご教示であることがわかります。それ故、古来より「随身不離鈔(ずいしんふりしょう)――肌身離さず常に身につけておくみ教え」として伝えられてきました。
 「一佛乗」について今少し詳しくご説明いたします。
先にも述べましたが、お釈迦さまはお悟りを開かれてからの五十年間ご説法なさいました。
その中の四十二年間は「隋(ずい)他意(たい)の教え」と申しまして、信徒の方(他)を救済するためのみ教えでありました。そして晩年の八年にわたってお説きになられたのが妙法蓮華経であります。このお経は、お釈迦さまご自身の発願によってお説きになられましたから「随自意(ずいじい)――自らの心に随って説かれたみ教え」のお経と申します。しかも、このみ教えの中には「五五百歳」と示されており、五つの五百歳、つまり二千五百年の後の人々にも伝えたいという思いが説かれております。
 そしてもう一つ、末法の時代に「上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)」を遣わすというのです。この人は死罪・流罪に問われても法華経を弘めるであろうとも。
 このみ教えに従って、私たち日蓮門下の者は日蓮聖人こそ上行菩薩再誕のお方と拝するのであります。そして上行菩薩のお立場(ご自身では先がけとおっしゃっておられます)で私たちにお示し下さったのが南無妙法蓮華経のお題目でありました。つまり「一佛乗」とは南無妙法蓮華経のことなのであります。
 「南無妙法蓮華経のお題目だけが令和の時代に生きる人々を救済することが出来る」今月の聖語を私はこのように拝受しております。


合掌

日彰