菅野貫首写真

法華経を持つ人々は同じ霊山へ参らせ給う(上野殿御返事)

 今月ご紹介の聖語は、今の静岡県富士市在住の武士南条時光公にお与えになられたお手紙の一節で、南条時光というお方は父七郎殿を幼くして亡くし若い時に家督を継ぎ北条時頼の近習(きんじゅう)をつとめられ、熱心な法華経信仰者であり、日蓮聖人に帰依する若い武士でありました。身延山の日蓮聖人のもとに薬酒・おいも・ごぼう等をおとどけになられたとき、その御礼のご返事が今月ご紹介の聖語であります。本文で聖人は
「そなたの父故七郎殿は大の法華経信者であったので、臨終正念、おだやかで心安らかな最後であられた。それは同じ信仰を受け継いだそなたの回向によるものである。そなたが法華経信仰者になられたこと故父上もさぞかし喜んでおられよう。しかし幼くして父君を亡くされたそなたの事を思うと私は〝なみだがとまらない〟のである。」とお述べになられたあと
 「法華経を信仰する者が亡き法華経信仰者をご回向するという事は、共にみ佛のおわします、霊山浄土にお参りしたことになるのです」
のご教示になるのであります。
 お心に止めておいていただきたいのは、
「法華経を信仰する者が同じ法華経を持つ者によってご供養されたことの絶大なお功徳」
についてであります。このことを私事で恐縮ですが、私の体験を通じご説明させていただきます。私は昭和三十五年五月、母を亡くしましたが、その時の恩師立正大学教授、堀之内(今は八王子)最教寺住職茂田井教亨先生がご自坊に同級生二十人位を集めて下さり、母の百ヶ日法要を営んで下さり、奥様が手料理を供養して下さいました。大学の先生・奥様が一生徒の母の供養法要を営んで下さるこれ以上の法悦はありません。六十年後の今も合掌感謝しております。私は無上の幸せ者であります。その時私は自分のような修行未熟な者のお経 回向で母が成佛したか、心配でした。このことを、先生にお話しますと先生は即座に、今月の聖語を語って下さり「君のお母さんは法華経の信者、君も法華経の修行者。法華経の信者を法華経の修行者が回向、供養したのだからお母さんは成佛されたよ。父上と一緒に霊山浄土で君を見守っておられるよ」のひと言、私は安心、ただ涙々でありました。その時先生はもうひと言「君が母上に上げたお経の心を忘れず住職になったらお檀家の人にその〝こころ〟でお経をあげ供養するのだヨ」私の僧侶の大事な原点であり今も守り続けております。
今月はこの聖語をご紹介、皆様には来るお盆をこのこころでお迎えになっていただきたく念じております。


合掌

日彰