菅野貫首写真

有情(人間)の第一の財は命にはすぎず(主君抄)

 身延から鎌倉在住の武士、四条(しじょう)金吾(きんご)殿へお与えになられたお手紙の一節であります。四条金吾というお方は鎌倉北条氏の一門江馬(えま)氏に親子二代に渡って仕え、日蓮聖人伊豆ご配流のころからの大の日蓮聖人信者で主君江馬代に法華経入門をすすめるほど熱烈な法華経信者でありました。日蓮聖人から沢山のお手紙のご教示頂いており、金吾殿が当時の世情を大変気になさり、人々が安心の世界からはるかに遠いことを嘆かれ、日蓮聖人に教えを乞われるのでありました。この事に対する御返事が今月ご紹介の聖語であります。
聖人は「上に立つ人々が法華経の心で人々に接しないから今日の混乱があるのだが、あなたは主君にきちんと忠告なされた。これ以上なさると日蓮と同じ目に遭う。あなたは一度ご主君にすすめておられるのだから無慈悲者と仏さまからのおしかりを受ける事はありません。これ以上ご主君に忠告されるとあなたの命にかかわります。あなたは法華経信仰者として十分の事をなされた。今は女房どのと酒を飲みながらゆったりと過ごしなさい。」
「この世に於いて人の命ほど尊いものはない事、人の第一の宝(財)は命であって、金銀財宝ではない。」
ということをあらためてお示しになられるのであります。日蓮聖人は幕府に諫言されご自身の命を失いかねないご苦労をなさいました。そのご苦労の根底には「人々の命の尊さ・人の命は平等であり上下貴賤なく第一の宝物なのである」ということを政治上の第一条件として生かして欲しいという強い思いがありました。しかし聞き入れられることはなく四度の命に及ぶご法難、小さい法難数知れずというご生涯でありました。そして、この時「三度諫めで用いられないならば、山林に籠もれ」の先人の教示に習い身延山での生活をなさっておられ、このお教えを四条金吾にもそのようにお説きになられたのであります。
 そして七百有余年、人類は自らの生活で造った宇宙規模の天変地異自然災害に悩まされておりますが、それを横目で眺めながら、専制主義国家が目立っており、しかもそれらの国家は皆紛争を抱えているという現実、ロシアのウクライナ侵攻を見るまでもなく全てが「人命の軽視」であり「自分達さえよければ」の我欲から出ていることはどなたもお気づきのことと存じます。
 八月は、日本人に忘れることの出来ない月。「命の大切さ」「争いの無意味さ」を国民の一人一人が強く受け止める月でもあります。
 今月ご紹介の聖語、一見あたり前と受け止められるかも知れませんが、今の世相を直視した時、今日ほど「命が軽く」扱われている時はありません。大聖人のご教示あらためて強く拝受させていただきたく存じます。


合掌

日彰