ご法門のこと お目にかかり、お話ししましょう。

『よろこびて御とのひと終わりて候。ひるはみぐるしう候へ婆、よるまいり候はんと存候。云々。御はたり候て法門をも御だんぎあるべく候』
(富木殿御返事)
 「御貴殿とのご縁、この上なきよろこびであります。日中は他人の目もあることですから、夜分にお目にかかりたく思います。その上でご法門(法華経のこと)のお話をいたしましょう」


 おそれ多いことですが、私の領解(りょうげ:信仰的理解)で今日の言葉にさせていただきました。
 日蓮聖人は、ご生涯に現存するだけで四百余編のご文章をお書きになっておられますが、その中で今回ご紹介いたしました御文章は一番最初にお書きになられた御書(異論あり)であります。日蓮聖人門下で最も強い信仰者となられる富木常忍氏が、このお手紙を仏縁として信仰を深めてゆかれたのだと拝する時、このお手紙の持つ〝時の重さ〟が伝わって参ります。
 日蓮聖人は、建長五年四月二十八日、始めてお題目をお唱えになられたあと鎌倉にお出になられ辻説法をなさいます。同じころ、富木常忍氏(御家人・千葉氏の家臣両説あり)も鎌倉におられ、聖人の説法を拝聴、感動した富木氏は聖人に手紙を書かれ、返事を待っていたところ
 『大事な法門のことですから、お目にかかって、じっくりとお話ししましょう』
 思っても見なかった聖人からの面談の申し入れを、富木氏は万感の思いで拝受したにちがいありません。後年日蓮門下信徒の中心的存在となられる富木常忍氏の入信が、この面談、談義にあったと拝しますと、時空を超えて私たちへの〝よびかけ〟でもあるのであります。
 常忍氏からの質問状をお受けになられた日蓮聖人は、先にも述べましたように御書が四百余編も現存するほど筆まめな方ですから、早速長い手紙で返事をお出しになられたとしたら如何でしょうか。如何に「名文」「豊かな表現」がなされていたとしても〝入信〟には至らなかったと拝します。このと¥ことを十分にご存知の聖人は〝お目にかかり〟とおおせになられたのであります。面談されたお二人がどのようなお話をなされたかは窺うことは出来ませんが、日蓮聖人の五体から発せられる声なき声、無言の人格が重なって、広大無辺の法華経世界、難解難入のお題目のおこころが伝わり、富木常忍氏の〝入信〟となったのだと私は拝見いたします。
 昨今は「メール」「フェイスブック」「SNS」と「文字伝達万能」の時代でありますが逆に「文字の暴力」「文字のイジメ」「文字のいやがらせ」と化している現状を見るとき、「お目にかかって、ゆっくり話しましょう」と教化された日蓮聖人の深いお心が四方八方に広さを持って伝わって参ります。そしてもう一つ、こちらの方が大事なのですが、面談の目玉である〝声なき声〟〝無言の人格〟このことも日蓮聖人は、私たちに求めておられるのであります。共々に養って参りたく存じます。

合掌

日彰