人は善根を なせば必ずさかう

花は開いて果となり、月は出でて必ずみち、燈は油をさせば光を増し、草木は雨降ればさかう。人は善根をなせば必ずさかう
(上野殿御返事)

「花は開いて自然の惠みを受けて果(実)を成らせる。月は欠けても必ず満月となる。灯は油をさせば光が増す。草木は天の慈雨によって成長する。これは天地自然の習わしである。人の一生も又同じである。善根(良い行い)を積めばその結果として必ず栄えるのである。」


 現在の静岡県在住上野氏が身延山の大聖人に度々供養の品をお届けされており、この御文はお礼を兼ねてのおさとしと善根功徳のご教示であります。
 さて八月はお盆の月です。と申しましても池上は七月にお盆の行事を行っており、お盆は七月の感が強いのでありますが、日本全体で見ますとやっぱりお盆は八月。の感を強くするのは一人私のみではないと思います。そしてもう一つ、お盆は亡き人々の思いが巡ってくる尊い時でもあります。
 私事ですが、八月のお盆になりますと走馬灯のように亡き方々の姿を思い出します。その中でM老夫人のお姿と言葉は私の信仰の柱としての思い出であります。私は中学一年で出家、高校卒業まで北海道小樽市の妙龍寺伊藤師匠のもとで佛道修行に励み、僧侶としての道を教えて頂きました。昭和三十二年立正大学入学を許可され、上京すると決まった時、お檀家のM夫人は私にお餞別を下さりながら「亮さん(私の幼名)受けたご恩は忘れるんでないよ。そして坊さんは徳を積まねばだめだよ。人に慕われる坊さんになんなさいネ」と懇々とさとして下さり私の目をじっと覗かれたのです。あの声・あの目が八月のお盆に蘇ってくるのです。そして私は反省します「私は恩を忘れていないか」「私は慕われる坊さんになっているか」と。
 合わせてもう一つ思い出します。M家は日蓮聖人のご教示そのままのお家だった、昔も今も。このことであります。M家は資産家で市の重要な役をつとめられつつ、お寺の世話人をやっておられ、人の面倒見の良いことで知られておりました。M夫人が私に言って下さったことは一人私だけでなく、他の人にも同様に伝えM家自身でも守っておられました。お子さんは三人、私とは今も交流がありご長男は大学の先生、ご次男はエンジニヤ、ご長女は校長先生夫人、そしてそれぞれにお孫さん。平凡ですが平穏な温かいご家庭を築いておられます。重要なことはそれぞれが「父母、いやご先祖のおかげです。」と必ず口にされることです。お伝えしたいことはM家の教えはお子さん方もきちんと守っておられる、ということであります。日蓮聖人は上野氏の御書で「人、善根を積めば必ずさかう」とご教示下さいましたが、私はM家ご一家にその姿を見るのです。そして更に一歩すすめて「さかえ」た人々が「感謝している」この事に日蓮聖人のご教示の深さを感じるのであります。


合掌

日彰