死骨に魂やどる

法華を悟れる智者、死骨を供養せば即法身、是れを身という。さりぬる魂を取り返して死骨に入れて彼の魂を変じて佛意と成す。成佛是れなり。
(木絵二像開眼之事)

 ご紹介しました日蓮聖人の御文は文永元年、日蓮聖人四十三歳の時、篤信の鎌倉武士、四條金吾殿にお与えになられたお手紙の一節であります。
 内容は金吾殿が木造のお釈迦様のご尊像の開眼供養のお願いをなされ、そのご尊像の入魂(生身のお釈迦さまとなられる)にあわせて「人の死骨にも魂の宿る」ことのご教示をなされた大変重要な御文章であります。
 さて昨年六月、「都内のあるお寺さんが大々的に行っている、宗派を問わずお骨を預かる行為は宗教とは認められない、単なる保管業であるので課税すると税務署が判断した」と新聞が報じておりました。「お骨に三万円を付けて宅急便で送ってくれれば預かる。」というお寺さんもありますがこちらはどうなるのでしょう。海や山にお骨を捨てる業者もおります。(散骨などと言っても事実は事実です。)知人が集まりお酒を飲んで食事をし、食事葬というのを行う人もおられます。こういう方々に知って頂きたく、日蓮聖人のご教示をご紹介させて頂きました。
 都内の日蓮宗寺院での実話です。警察からの依頼で持ち主不明のお骨(多くは公園や川の土手に置きっ放し・捨てた?)を永年預かってきたが、お堂の改修に合わせて一部分を納骨堂とし、そこの一角をこの方々の場所と定めて布や壺を浄め、毎朝一巻の読経・唱題をしていたところ、初老の夫妻が訪ねて来て探し当て「母が新しい着物を着て夢枕に立った。びっくりして探しに来た。」
 この話を私は教え子であるそのお寺の山務員から聴きました。彼は四十余人の方々のお骨を浄め、お経をあげているのにたった一人しか訪ねて来ない。どうしたら後の人に届くか。と言って私に相談したのでした。私は即座に『全部届いてる。でも受け止める方が酒を飲んで寝込んだりして聴く耳を持っていない、本当に守る人がいない、等々の理由があるだろうけど、僧侶の側からするとお一人でも訪ねて来た事実は〝お経・ご供養は必ず届くものである、との証明であるから今後は自信を持ってご供養なさい〟』と諭したことでした。まさに死骨に魂が宿っているのであります。
 今月はお彼岸の月。ご先祖さま・恩人・知人にご供養のまことを捧げる好期であります。


合掌

日彰