菅野貫首写真

卒塔婆にも
法華経の題目を顕し給え

去ぬる幼子の娘御前の十三年に、丈六の卒塔婆を立てて、その面に南無妙法蓮華経の七字を顕しておわしませば、北風吹けば、南海の魚族その風に当たりて大海の苦を離れ、東風吹けば西山の鳥鹿その風を身にふれて畜生道を脱がれて都卒の内院に生れん、況んや卒塔婆に随喜をなし、手をふれ、眼に見まいらせ候人類おや云々、此より後の卒塔婆にも法華経の題目を顕し給え
(中興入道殿女房御返事)

 中興入道というお方は、日蓮聖人が佐渡にご配流になっておられた時入信された方で、入道前のお名前は近藤信重、佐渡の領主、本間家の家臣でありました。父君も入道され〝一(いち)谷(のさわ)入道(にゅうどう)〟と名乗り、日蓮聖人の大信者でその住居は現在、本山一谷妙照寺となっており、息子の信重は妻とともに中興村に住しておりましたので〝中興入道〟と名乗られたのでした。入道の住居も妙経寺というお寺になっております。  今回ご紹介致しました御書は中興入道が三度目の身延参詣を行った際、夫人が亡き愛娘の十三回忌供養をお願いし、供物の数々を夫の入道に託されたことへのお礼状で、それ故「中興入道殿女房御返事」と申します。では本文を私の理解に合わせてご紹介致します。

 「幼くして死去された、娘子の十三回忌供養の為に沢山の供物を頂き感謝し佛前にお供え申し上げました。入道殿の話によると供養の為に丈(たけ)六尺もある大きな卒塔婆を造り、その表に南無妙法蓮華経のお題目をお書きになって建立されたとのこと、誠に尊くその功徳は計り知れません。そのことを例えて言いますと、この塔婆に北風が吹けば南の海の魚たちが妙法七字のお題目の功徳の風にふれて、大海の底で暮らす苦しみから離れて楽を得ることが出来るであろうし、又東の風が吹くときは西の山に棲む鳥や鹿たちが、その風を身に受けて畜生道から脱がれ、天上界、菩薩さまたちが居住する世界(都卒の内院)に生まれる事が出来るのであるとお経文に示されてます。  ましてや、このお塔婆の功徳を知って喜んでお塔婆に触れたり、目で見たりした人々の受ける功徳、更には建立の霊位(娘子の霊位)が受ける功徳、更には建立された方のお功徳は計り知れない。このように尊いことであるから、お塔婆を建立する時には必ず正面に南無妙法蓮華経のお題目をお書きなさることをおすすめ申し上げる。」

 お塔婆建立のお功徳について、日蓮聖人のご教示をご紹介申し上げました。七月八月はお盆の月、ご先祖さまはじめ、先亡の方々、ご恩を受けられた方にお塔婆供養をなされ、計り知れないお功徳をお届け申し上げたいものであります。結びに、お塔婆建立の功徳は、お題目、お戒名、読経の三つが揃ってはじめて成就する事、それには菩提寺、近くの日蓮宗のお寺さん、日蓮宗の資格をもつお上人にお願いなさる事をおすすめします。もちろん池上本門寺では三六五日お受けしております。


合掌

日彰