菅野貫首写真

他の過ちを見るなかれ 他の作さざるを責むるなかれ
おのが何をいかになせしかを自らに問うべし(法句経 五〇)

 今月は一人の佛弟子の願いとして、宗祖大聖人の聖語ではなく、佛教最古の経典と伝えられているパーリー語のダンマパダ(真理のことば)法句経の第五十番をご紹介させていただくことにしました。
 ご紹介した日本語訳は池上とご縁の深かった故松原泰道老師の意訳であります。参考までにご紹介しますと、漢訳として伝えられているこの五十番は、
「彼(か)の作(な)すと作(な)さざるを観るを務むべからず、常に自ら身を省みて正と不正とを知れ」であります。
実にやさしく、理解しやすいみ佛の教えであります。私はこのお経を法華経入門の経典と拝しております。そのわけは後に述べるとしまして、私たちは自分のことを棚にあげ、他人の過失、欠点はよく目につきます。又人の悪しき行為、邪悪についてもよく解ります。そして、それを咎(とが)めたくなり、つい口にしてしまうことが多々あります。それだけではありません。その「咎(とが)め」を自分の心の内では良いことをしたと勘違いしている場合が多いということであります。ところがこの種の注告、咎めは注告している本人も別な形で行っており、他の人はそのことを知っています。ですからそこからは百パーセント「良い結果」は生まれないということ、このことは人類の長い歴史が物語っておりますし、逆に悪い結果の方が多いことを心配された佛さまが、今月ご紹介の法句経で具体的注告として、このみ教えを遺されたのであります。
 先師は、「他人のふり見てわがふり直せ」と教えておられますが、この諺も又佛典をふまえてのことと私は拝しております。この経典を現代語訳された松原老師は「他の過ちを責むる前にわが過ちを省(かえり)みよ」と説いておられます。かくありたいと私も拝します。昨今自分の名前の出ないことを幸いに他人への悪口雑言が流行しておりますが、私たちも知らず知らずの内にその仲間入りをしているのでは、と反省しております。私は先にこの経典は法華経に入る前の教典だと述べました「わが過ちを省みる」なかなかむつかしいことであります。ですが、要するに「他人を責めない。責める気持をおこさなければ」よいのです。
 「妙法五字の光明に照らされ、本来の自分にかえった姿を心に念じ南無妙法蓮華経とお唱えなさい」と 日蓮聖人はこのように説いておられます。このご教示を私は他人の過ちを見る気持が出たら心にお題目をお唱えなさい。このようにうけとめさせていただいております。現代は「他人の過ちを責める」風潮が力を強くしておりますが、法華経、お題目のお力におすがりして、悪口悪口の悪魔から身を守り、毎日の生活を心豊かに過ごしたいと念じております。


合掌

日彰