一塔両尊四士(五重塔奉安諸尊像)桃山時代一具

当山五重塔の初層には一塔両尊四士(いっとうりょうそんしし)の諸尊像と二基の大形位牌が奉安されています。
 一塔両尊四士とは、長八角形の蓮華座中央にお題目を大書した宝塔を建て、その左に釈迦牟尼仏、右に多宝如来を奉安し、その下段には脇侍(きょうじ)として地涌(じゆ)の諸菩薩の代表である上行(じょうぎょう)菩薩(内側右)、無辺行(むへんぎょう)菩薩(外側右)、浄行(じょうぎょう)菩薩(内側左)、安立行(あんりゅうぎょう)菩薩(外側左)の四大菩薩を奉安する、日蓮聖人が説示された法華経世界(大曼荼羅本尊)に基づく日蓮門下独特の奉安形式の略称です。
 五重塔諸尊像の尊容を見ると、釈迦・多宝両尊は合掌し、八角蓮華座上に設けられた蓮華座に坐していますが、法衣が蓮華座に覆い被さる法衣垂下(ほうえすいか)と呼ばれる形式で造られ、蓮弁形の挙身光背を備えています。また、四大菩薩像はいづれも合掌する立像で宝冠を冠し、舟形の挙身光背を備えています。構造は概ね木造寄木造で玉眼を嵌めていますが、無辺行菩薩のみ一木造です。作者は今井善右衛門吉久という仏師です。残念ながら他の作例は知られませんが、この一具の作風から鎌倉仏師と考えられています。山田泰弘氏(元本門寺学芸員・文化財主任)によれば、これらの作風は室町時代の鎌倉地方に見られる様式である法衣垂下形式の採用や、丁寧な衣紋、尊容の表現や彫刻技法から、中世風を踏襲した良質な桃山時代の作品とされています。八角蓮華座中央の題目宝塔に記されたお題目が、五重塔建立時の当山貫首である第十四世自証院(じしょういん)日詔(にっしょう)聖人の筆跡であることを考え合わせると、五重塔建立時である慶長十二年(一六〇七)頃の造像と思われます。
 さて、この一具は五重塔解体大修理にあわせて、解体修理が行われました。その際に八角蓮華座の部材板裏から「両尊四天四菩薩文殊普賢、元禄十五年午十月廿一日、江戸京橋北壱町目、大佛師石見」という墨書銘が見つかりました。元禄十五年(一七〇二)は、五重塔を現在地へ移築をする大修理が行われた年です。その際にこの諸尊も修理されていることが判りますが、重要なのは現存する一塔両尊四士に加え、四天王と文殊菩薩、普賢菩薩が本来備えられていたことが判ることです。五重塔の須弥壇(しゅみだん)(本尊や仏像などを安置する壇)は現状でもやや手狭ですが、元禄時には須弥壇一杯に諸尊が奉安されていたことが想像されます。当山五重塔が心柱を初層まで通さなかったのは、恐らくこの様な諸尊を勧請(かんじょう)(神仏をお迎えし、安置すること)するためだったのでしょう。
 なお、毎年四月の第一土日曜日は五重塔が開扉され、屋外よりこの諸尊を拝観することが出来ます。

(安藤昌就)